憧れを、憧れたままにしていいのか。

憧れを、憧れたままにしていいのか。

「おっ、懐かしいな。昔、乗りたかったんだよ」
「これ、友だちが乗っててな。俺も乗りたかったなぁ」

そんなふうに、よく声をかけられました。
むかしむかし、オサーン20代、いすゞ ベレットに乗ってた頃のこと。

ベレットは、当時でさえ20年落ちくらいの「大古車」。いまは「旧車」とか「ノスタルジックカー」なんて便利なコトバが出てきたけど。あのときは単なる「古いクルマ」でしかなかったからね。

で、そんな古いクルマに興味を示すのは、おじさん。
ちょうど、いまの僕の年代くらいの人だったように思う。

僕にとって、クルマは時代の記憶だ。
昔の音楽を聞いたとき、その時代の記憶がパッと目の前に広がるように、古いクルマは、その時代をよみがえらせてくれる。

スバル360“テントウ虫”。60年代、実家の仕事がうまくいきだして、家族が幸せだった時代。僕のクルマ生活の出発点。
家にあった自動車一覧を毎日のように見ていた小学生時代、一番のお気に入りだったギャランGTO。「最高速200Km/h」のスペックに胸をわくわくさせ、絶対に免許取ろう、と思っていた。
BD型ファミリア。大学の正門によく並んでいた。金持ち系のゴルフサークル、テニスサークルのヤツらがよく乗ってた(笑)。

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衝撃的だった、R32 GT-R。第三京浜の最高速バトルでテスタロッサを抜いた、なんて都市伝説(?)を聞いた。でも、スペックもプライスも非現実的すぎて、憧れの対象にもならなかった。
NA ユーノス・ロードスター。初めて、自分でも新車で買えるかもしれない。と思わせてくれたクルマ。その後、仕事の環境が変わった影響で、結局かなわなかったけど。

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そのスタイリング、エグゾーストの向こうに、懐かしいシーンがよみがえる。あのとき流行っていた歌、見た映画、起きた事件、そして、自分自身の暮らし、毎日。何を感じ、考えて過ごしていたか。

若いときの憧れは、たいてい、高嶺の花だ。クルマも、時計も、カメラも、女の子も・・・
その憧れに手を伸ばすのだけど、なかなか届かなくて。
そうこうするうちに子どもが成長したり、仕事の転換などで、文字通り、「手が回らなく」なったりして。
昔の光り輝くような“憧れ”も、気がつけば片隅ですっかりホコリを被り、埋もれてしまう。
それが人生、というものかもしれないけど。

そしていま。人生もすでに第3コーナーを過ぎて。

何かの拍子で憧れを思い出し、ホコリをパンパンと手で払って、ためつすがめつ確かめてみる余裕もできた。気がつけば、あれほど「届かない」と思っていた距離も、ずいぶん近くなった。少し思い切れば、届くんじゃないか。そんなふうにも思えてきた。
それもまた、人生の時間がなせるわざだ。

一方で、気がつけばフィジカルという問題も迫ってきた。
これ以上、年を取ってしまったら、憧れにワクワクするようなこともなくなってしまうかもしれない。何より、スピードに対する感性や反射神経も鈍って、ドライビング自体が楽しめなくなってしまうかもしれない。

憧れを憧れのままで過ごし、ベレットのときのおじさんのように「欲しかったんだよ」って笑顔で穏やかに思い出す人生もいいかもしれない。
でも、かつて欲しかったものを、それが今になってしまったとしても手にして「やっぱりコレ、コレだよ!」って納得する時間を持つのも、それはそれでステキだと思う。
僕はどっちが良いんだろう。

手を伸ばすなら、いまじゃないの?

誰かが、耳元で囁いたような気がしたんだ。ホントだよ(笑)

※画像はウィキペディアから