1994年5月1日、あの夜のこと。セナがいなくなってから24年

1994年5月1日、あの夜のこと。セナがいなくなってから24年

鮮やかに赤いひとかたまりが地面の上に広がっていたのを深夜、生中継の画像を見て、僕は半狂乱になった。
大破したマシンから引っ張り出された王者が地面に寝かされ、ドクターからファーストレスキューを受けていた現場。視界を遮っていた幕が外され、担架に乗せられた王者が救急車に移送されたときのこと。地面に広がっていた真っ赤な痕跡は怪我によるものではなく、気道を確保するために切開されたときのもの、ということを後から聞いた。

 



 

あの生中継の放送時間内、ドクターは懸命に治療を続けており、王者はまだこの世にいた。しかし、あのいびつに丸く広がっていた赤い痕跡に、僕はとてもいやな予感がしていた。あとは希望のみ。もはやマシンに乗れなくてもいい。せめて、この世に存在していて欲しい。

「セナ、クラッシュ」
鉛のような夜が明けた月曜日、こんな見出しがスポーツ新聞の一面に踊っていた。僕の自宅の最寄駅でのこと。新聞はほぼ初刷りに近いもの。この時点の報道では、彼はまだこの世にいたはずだった。
そして電車を乗り継いで都心の仕事場の駅に着いたとき、スポーツ新聞の見出しは次のように変わっていた。
「セナ死す」

同じ新聞でも刷りを重ねていくうち、新たな情報が入って、一面の内容が差し替えられたのだ。僕が通勤電車に揺られている小一時間の間に、王者が踵を返してこの世から去って行ってしまった。少しおかしなことだけれど、そんな感慨を受けた。

あのときのスポーツ新聞は、どちらも買っていた。そしていまだに捨てられず、しまい込んでいる。だからといって、5月1日に引っ張り出して見直したりするような気にもなれない。捨て去ることができず、かといって偲ぶ気持ちにもなれず。そんな中途半端な時間が20年以上、僕の中でずっと流れている。