エンジンが楽しければ、走りは無限に楽しくなる。

エンジンが楽しければ、走りは無限に楽しくなる。
ヤマハ RZ 250
ヤマハ RZ 250。2ストロークエンジンがあまりに楽しかったので、この初期型と、2代目の2台を乗り継いだ。

あの加速感が、僕のエンジンに対する思いを作った。

ヤマハRZ250、2ストローク250c.c.水冷並列ツイン。当時の4ストロークバイクが25馬力前後(リッターあたり100馬力)だった時代に、RZは35馬力を出していた。

 

回転フィールはシャープ、まさにカミソリのよう。7,000回転から見せる一瞬のキレ味は、危険とさえいえた。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でデロリアンが過去・未来に向けて一瞬のうちに猛ダッシュするような、あのイメージ。まさに瞬間移動。

ピーキーな性格で6,500回転以下は125c.c.よりも遅いほどだったため、その鈍感な回転域との対象もあり、高回転域は“殺気”とさえいえるパンチ力が感じられた。まさに狂気の世界。エンジンセッティングの妙だと思った。

ナナハンなどのビッグバイクも強烈な加速感だけれど、あれとは全く違う。
ビッグバイクはトルクで速度を上積みしていく感じなので、アタマで理性的に理解できる速さだった。それに対してRZの、あのキレるような加速感はまったくの未体験で異次元。有無を言わせない圧倒的なスピードの世界はRZだけの魅力というか、魔力だった。

サウンドも魅力だった。カーンという高音域、加速感そのままのキレの良い響き。「カン、カン」と、シフトダウンでアクセルを煽ったときのダイレクトなレスポンスがそのまま耳からも伝わり、アドレナリンを刺激してくれる。

バイブレーションはほとんど感じられない。ただ、おっとりとした“ジキル”の回転域と、激烈な“ハイド”の狭間、6,500回転前後に、ブルブルとした大きめのバイブレーションが出る。それはまるで、二重人格の2つ目の性格に変身するときの儀式のようだった。
その儀式の回転域を過ぎると、スッとバイブレーションが消える。そのとたん、激烈なハイドが登場し、本領を発揮するわけだ。
いま思うと、あのバイブレーションは、ハイド氏の登場をスロットルを握る者に伝える警告だったと思う。

「これ以上回すと、あいつが来るぞ。お前は、準備できているか。バイクの姿勢やライン取りはできているか」
そんなエンジンからの警告を了解し、アクセルを開ける。次の瞬間、バイクとライダーが次元を越える。

 

 

そういう性格を分かった上で、使いこなす。それが前提のエンジンだった。
シフトダウンやクラッチワークで操って、エンジンのパワーバンドを使い分け、自分が欲しいスピードを出す、という走り。

信号待ちで、横一線に並んだ中から抜け出したいときは、6,500回転あたりでミートさせて一気にダッシュ。自分が欲しかったポジションをゲットできたらポンポンポンとシフトアップしてタコメーターの針を6,000以下に落ち着かせて定速クルージングに移行。

また、クルージング中、追い越しをかけるときはポンポンと2速シフトダウン、タコメーターの針を7,000回転から上にもってくることで瞬間的に追い越し完了。これが高速道路など、エンジンがある程度回っている状況ならでのことなら、半クラッチで針を高回転側に滑りこませたり。

はっきりしたエンジンのキャラクターを自分なりに、周囲の交通状況に応じて使う走りは、まったく飽きなかった。あまりに楽しいので、ある日、走り出してそのまま北海道まで行ってしまったこともあるくらい。

走ることは、エンジンを操ること。そしてそのエンジンが楽しければ、走りは無限に楽しくなる。
そんなことを、RZが教えてくれた。この体験は、僕が車を選ぶときにも大いに影響している。