自動車産業は、死んだかもしれない vol.1:フィアット/アバルト 124 スパイダー

自動車産業は、死んだかもしれない vol.1:フィアット/アバルト 124 スパイダー

おいおい、何をいってるんだ。これから自動運転や燃料電池など、イノベーションの余地が残されてるじゃないか、と諭されるかもしれない。

何をいまさら。その認識はもはや周回遅れだ! と、イーロン・マスクから鼻でせせら笑われるかもしれない。

 



 

でも、思ったんだ。もうオワコンかな自動車産業、って。
3月1日からジュネーブショーが始まった。その速報がニュースサイトやらSNSでどんどん流れてくる。それを見ながら、とても落ち込んでしまったんだ。

落ち込みの理由は、ABARTH 124 Spider
ついに発表された、アバルトのニューモデル。
というか、そのベースとなる124スパイダーがすでにフィアットから発表されていたし、もっと言うとOEM元のマツダ・ロードスターはもはや日本で見なれていたので、新しさはほとんどない。やっと出たか、という感じ。

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実は、フィアットから124スパイダーが出たときに、すでに違和感を感じていた。
だって、バンやSUVならともかく、スポーティカーをOEMで調達してくるなんて、いやしくもヨーロッパの名門メーカーのすることなのか!? と思っていたからだ。

スポーツモデルといったら、社内の腕っこきのエンジニアをかき集めて勝負をかけるように開発に挑んだものだ。それが、よそのメーカーからちょいちょいと調達してくるなんて。しかもその調達先が日本のメーカーだなんて(まぁ、それだけ日本の技術も進んだ証しだが)。

しかも。
出てきた124を見てガッカリ。スポーティカーらしいエモーショナルなアピールが全くない凡庸なルックス。コスト重視で、アウターパネルを極力変えないようにした苦労しか見いだせない。「デザインのイタリア」の意地やプライドは、どこに行ってしまったのか。

そんなモデルをベースにしているせいで、せっかくのアバルトのニューモデルも迫力に欠ける。
従来のプントもチンクエチェントも、あのモデルがこんなにカッコ良く精悍になる。というのが“アバルトマジック”のひとつだったのに。

しかも、“元祖”であるアバルト124からの引用に過度にこだわりすぎて、かえって滑稽ささえ感じてしまう。
マットブラックのボンネットは、このデザインにはまったく似合ってない。
そんな小細工ばかりで、レーシーでカッコイイという、アバルト本来のデザイン処理がまったく見られない。

ここまで苦労して似せなくても・・・(http://racing.abarth.com/it_IT/abarth124rally)
ここまで苦労して似せなくても・・・(http://racing.abarth.com/it_IT/abarth124rally)

同時に発表された、ラリーマシンのSE139に至っては、カラーリングはもちろん、ハードトップやらフロントのドライビングランプなども、以前のアバルト124ラリーにそっくりそのまま再現! とはいえ、ベースとなるフォルムやデザインがまったく違うので「ここまで無理に似せなくても」と思ってしまったのが正直なところ。

アルファ156で、フィアットグループは「レトロマーケティング」の味をしめた。デザインや車名など、過去の資産を現代のクルマに引用するやり方だ(アルファはそれを車名でよくやっていたが)。
156で見せた、過去のデザインを随所に引用したヴァルター・デ・シルヴァの巧妙なデザインは、世界で大ヒットした。

そういう、レトロマーケティングの最新・拡大版が、アバルト124スパイダーだ。
今年の新車発表に際して、フィアットはうやうやしく「50th Anniversary」のキーワードを持ち出してきた。ルーツとなった124シリーズの発売が1966年だったことにちなんだものだ。
でも待ってくれ、124の歴史をフィーチャーしているが、今回、そのクルマを作ったのは、東洋のメーカーなんだが!!
そしてグチグチと書いたとおり、過去のデザインの過度な引用の数々・・・

縁もゆかりもない“ご先祖さま”を持ち出され、さらに、モダンなデザインに昔のお化粧をこれでもかというほどまぶされ、ステージの上に担ぎ上げられた哀れな一台、それが124スパイダーだし、アバルト124だ。

このクルマは経済効率最優先、マーケティング主導のプランだということが、もろバレだ。
スポーティカーらしいロマンティックなストーリーやテクノロジーのチャレンジは、これっぽっちもない。あるのはカネの計算だけだ。
「お前らには、これぐらいでちょうどいいんじゃないか」って、マルキオンネがクルマの脇でウインクしてる。

フィアットはクルマづくりの情熱や魂を、シュレッダーにかけてしまったとしか思えない。

(続く、と思う)