アップルの方針転換に思う。自動翻訳すらできないのに、自動運転はムリだよ、やっぱり

アップルの方針転換に思う。自動翻訳すらできないのに、自動運転はムリだよ、やっぱり

実際の自動車を開発するための極秘プロジェクトとされる「Project Titan」をめぐる問題について、一連のうわさや報道を収束させる記事をBloombergが報じている。

情報源: アップル製の自動運転車は望み薄に–「Titan」プロジェクトが方向転換か

新規事業に全力を上げる、という方向から、いつでも退場できるように出口のドアに手をかけつつ事業展開するという方向に、Appleは舵を切り直したんだと思う。
自動翻訳ひとつまともにできないのに、自動運転なんて実現に何万年かかるんだろうと最近思ってる人なので、Appleの判断は理解できる(上から目線な言い方だけど)。

実は、まともに翻訳できるシステムが今はない。最近、いろいろ使ってみてとことん思い知らされた。
特に日本語が壊滅的で、その理由はその文法の自由奔放さにある。文脈や気分で助詞はおろか主語さえ省略してもいいし、「私」というときも「俺」「わい」「ミー」など同じ意味の言葉がたくさんある。そんな自由奔放なルールと多彩な言葉を、その場の雰囲気や文脈、目的に応じて細かく使い分けているのが日本語だ。僕らには理解できるが、それがシステムにはサッパリ分からないらしい。

不定形で、不確実、しかも即興的。日本語のようにカタチにはまらないデータを処理するのはシステムは大の苦手なのだ。
そして、この「不定形」「不確実」「即興的」というのは、実は道路交通にも通じる。

道路上を行き交うクルマはドライバーの意思表現だ。運転する人の意思や感情、ときに激情が運転という行為になって表れる。それらをくみ取りながら判断し、周囲と協調し、自らも路上で意思を表現していく。それが交通というものだ。

行く・行かない、止まる・止まらない、といった「0か1か」のようなはっきりした事象だけでなく、「行きたいんだけど行っていいのかなもう少し行ってみようかなどうしようかな」「この先でクルマを止めたいんだけどどこで止まったらいいかなもう少し前かな、あ、あそこが空いてるからあっち行っちゃおう!」といった脈絡のない運転動作なんてしょっちゅう。もっと意味不明なクルマの動かし方をする人もいるし。その一方で「俺は急いでいるので」とばかりに対向車線にはみ出したりしてまで走る運転者も。

言語を理解するシステムさえ作れないのに、周囲を走る自動車の運転者、さらには歩行者やオートバイ、自転車を含めて、それらの刻々とうつろう意思や感情(ときに不安定だったり、欲望が爆発したりする)を把握することなんて、システムにはムリなんじゃないか。で、把握できないからには、自動運転なんて夢のまた夢。
AIなど新技術を使ってその状況を打開しようとしているが、先日ここにも書いたように、まだまだよちよち歩きの状態が現実だ。

イーロンマスクが言うように、現状の交通システムから手動運転=人間の不安定な意思や感情を排除して、自動運転車オンリーの「まったく新しい次の交通システム」を作らないと自動運転なんて成立しないと思うし、事故はなくならない。とすると、今の手動運転の自動車を地球上からすべて排除することが必要になるんだけど、はたして可能なのか?

自動運転なんてしょせん、クルマを運転したことがないITエンジニアの妄想だと思うよ。
せいぜい、長距離トラック/バスが高速道路を走行する際の運転支援程度が自動運転の落としどころなんじゃないか。それだったら社会的な意義もある。

自動でカーテン開け閉め、だなんてみんなやっぱり「自動」が好きなんだなぁ(笑)