セナの番組が放映されました。
あれから21年。
ずいぶん時間がたった。けれど、時間は止まったままでいるような気がしてならない。
アイルトン・セナ。
1994年5月1日、午後2時17分、タンブレロコーナーに消えた軌跡。
“その後”を追ったテレビ番組が先日、NHK BSで放映されました。
アナザーストーリーズ「アイルトン・セナ事故死 不屈のレーサー 最期の真実」
ちょっと、タイトルが物々しい気がするけど、見てよかった。
インタビュー初登場のセナの個人広報官。
実は、パトリック・ヘッドの奥さんだったそう。彼は、エンジニアリング・ディレクターとして、セナが乗っていたウイリアムズFW16設計の指揮をとっていた男。
事故後、大きな喪失感を抱き、悲しみに暮れる広報官。それに対し、
「彼は、セナがいなくなったという事実に目を向けていないようだった」と、もっぱらマシンの正当性ばかり主張する夫、パトリック・ヘッド。この夫婦にはその後、次第に溝が生じてしまう。
そして、事故の裁判が終結するのを待って、両者は離婚。この番組で初めて知った。
ウイリアムズは、ドライバーに冷淡なチームとして知られていた。
このチームで初めてワールドチャンピオンとなったアラン・ジョーンズを筆頭に、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルなど、そうそうたるチャンピオンを輩出した。しかし、チームの予算を越えるギャラをドライバーが要求したとたん、パーツを取り替えるようにしてドライバーを使い捨ててきた。中にはそのまま引退していくドライバーもいた。
うちのマシンに乗れば勝てるんだから、贅沢を言うんじゃないよ。
ドライバーなんて、クルマを走らせるパーツでしかないんだから。
当時、ウイリアムズはそんなふうに考えているのではないか、と思っていた。
そんな彼らの傲慢な姿勢が、この番組でのパトリック・ヘッドの描写からも感じ取れた。
結局、ヤツらはヤツらなんだ。僕のあのときの感触は、正しかったのだ、と確信した。
それだけでも、この番組を見た甲斐があった。
付け加えるなら、ウイリアムズの歩みは、名だたるドライバーを使い捨ててきた歴史だ。
単に使い捨てるだけでなく、彼らは史上最高のセナまで、その命まで消してしまった。
タンブレロの一件は、ウイリアムズというチームを語るに際して、あまりにも象徴的すぎる「事件」だと僕は思っている。
この点で、僕はこのチームを絶対に許さない。これからも、永劫に。
そのほか、セナなき後のブラジルの期待を一身に背負ってしまったルーベンス・バリチェロの苦悩、セナの亡骸に対面してしまった日本人ジャーナリスト、サッカー・ブラジル代表とセナが交わした“約束”など、番組タイトル通りの「アナザー・ストーリー」が淡々と綴られていった。
民放のような過剰な演出もなく、あえて抑えられたトーンで綴られたことで心の中に静かにしみ通り、僕の記憶と重なり合って、新しいエモーションを形づくっていった。
しかし、どの写真、どの映像を見ても、セナは笑っていない。この番組でもそうだった。
落ち着いた、おだやかな微笑。観音様のような。慈愛に満ちているといえばそうだけど、あの笑顔を見ると僕は何故だかとても悲しくなる。
求めるものを追い求め続け、そして途中で思いを断たれる。そういう自分の運命が、あらかじめ分かっていたのではないか。
この番組を見て、あらためてその思いを深くした。
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