自動運転は絶対、不可能。人類の夢物語でしかない。そう思う理由。

例えば、東京とか都市部によくあるビル街で。
クルマで走っていると、カーナビはGPSをたびたびロストしている。加速などの各種センサーがあるので、自律的な計算と画面表示は保っているけれど。

また、視界の面で。
雪が降れば路肩はもちろん、センターラインや右折レーン、停止線といった白線も見えなくなる。
豪雨でも同じような状況だ。夜で灯りが限られればなおさらだし、灯りが多ければ反射でますます見えにくくなる。

昔、峠道でひどい夕立に出くわしたことがある。雨粒は1〜2センチくらい、そんな大粒の雨に視界が埋め尽くされてしまった。暗さも手伝って、ほぼ視界ゼロ。視界を確保しようと思ってライトを上向きにしたら、大粒の雨に光が乱反射して、かえって幻惑され、前に進めなくなってしまった。

自動運転が、なにやらニュースITアナリストの威勢の良い記事を読むと来年くらいにでも実現できそうな話になってるけど。

その最新にして優秀な運転システムは、僕がこれまで経験したようなシビアな状況でも的確に判断し、安全・安心かつ迅速な操縦で、黙っていても寝ていても目的地まで乗員を運んでくれるんですかね。

さらに言うと、以前ロシアであったように、いん石が宇宙から突然降ってきたり、阪神大震災であったように、目の前の道路が地震や陥没などで突然なくなってしまったり、そういう不測の事態でも、スマートに対応してくれるのだろうか。

もっと言うと、運転者の責任や、その周辺の人の気持ちだ。
自動運転車が事故を起こした際の法的な解釈や対応は、すでに論議され始めている。

僕が思うのは、いん石落下のような不測の事態があって事故や災害に巻き込まれてしまったときのこと。そのときの運転者や周囲の人の気持ちだ。
これまでのように、自分の意思でハンドルを握っていたら「仕方ない」「不運だった」で済むだろう。

しかし、自動運転車は全然違う。
他人のプログラミングで勝手に動く乗り物に乗っていて不測の事故に巻き込まれたら、はたして「不運だった」で済ませられるのか。

「プログラミングが良ければ、事故にはならなかったはず」「乗員のケガを軽減できたはず」「そもそも、事態を予測できなかった開発者に責任はないのか」。僕だったらきっとそう思う。たとえ東日本大震災のような、超レアケースの場合でも、だ。

いや、まれに見るレアケースのときこそ、“人間が考えるシステム”の限界や、人間の無力さが浮き彫りになる。
あれだけ人智と予算をつぎ込んだはずの福島原発が、たった十数メートルの津波にまったく無力で、無残な姿をさらけだし、多くの人を困窮させたように。

開発者やプログラマーは、そこまでの責任や使命感を持って開発しているのか。

Top画像は下記より
グーグルの自動運転車、公道で衝突事故の瞬間[動画]