いいクルマより、好きなクルマに乗ろうよ。と、思ったんだ。
僕にとって運転は、エンジンとの共同作業。
ワタクシ、オサーンは昔からバイクに乗ったり、古いクルマにわざわざ乗ったりしていたせいか、「エンジン」で動くクルマがとっても好き。
セルを回してキュルキュルッ、ブオン!とエンジンをかけて、少し暖機。そして水温計の針が動き出したら、おもむろにギアを1速に入れて、そろそろと通りに出る。
温まりきっていなくてちょっと不機嫌だったエンジンが、水温計の針が上がるとともに滑らかに吹け上がりが良くなって。そうこうするうちにギアも温まってきて、スコッスコッと思ったポジションに入るようになって。
そんなふうにクルマと相談するように走って、ヒトもクルマも充分に温まったら、空いてる道で一気にスロットルオープン!
その鼓動を感じ、音を聞きながら、ギアチェンジして、アクセルを踏む。
加速をしたり、減速をしたり、そのたびにエンジンと相談しながら、向きを変え、そしてまたアクセルを踏む。
景色がどんどん後ろに過ぎ去り、新しい景色が次々と目の前に現われる。
アクセルとハンドルで、はるか彼方まで続く道をたぐり寄せ、それによって地球を回してるみたいな。
僕にとって走るという行為は、エンジンとの共同作業なんだ。
そんなふうに走ってきた記憶がいっぱいある。バイクでも、クルマでも。
だけどね。子どもが生まれてから、それらは一切、封印したんだ。
だって、ビンボーで思うような車が買えなくなったから(笑)。
本意じゃない、つまらないクルマに、つまらない思いを抱きながら乗るのって、つまらないじゃないか!(笑)
世の中には、お金がなくても趣味と生活をみごとに両立している人も多いけど、そんなに器用じゃないしね。いっそのこと、家族中心の生活にシフトしよう、と思ったんだ。
まず、生活が先。家族と暮らして、子どもを大きくすることが先。
そんな十何年かを過ごして、ハッと気付いたら、ちょっと景色が変わってた。
好きなクルマに乗っても良いんじゃない? って思えるようになってきたんだよ。
昔、よく楽しんだ、エンジンと走る感覚へ。
だけど、僕にとってクルマの価値は、エンジンだ。
イグニッションキーを回すたびにワクワク。どんな風に走ろうか、どの道を行こうか。以前乗ってたクルマでいつも感じていたような、あの気持ちに戻れるようなクルマを探したい。そしてもう一度、走りたい。そんなふうに思ったんだ。
でも、そんなクルマ、まだあるんだろうか?
いまの時代、壊れないとか燃費が良いとか、「良い」クルマがたくさん増えたけど、橋って楽しいようなクルマは数えるほどしかない。
日本車だと、ユーノスロードスターとか、日産のGTRとか(それにしても両極端な選択肢だ! それに当時は、BRZとか86は発売直前の時期だった)。
行くなら、輸入車かなぁ、などと当時はボンヤリ考えていたのでした。
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憧れを、憧れたままにしていいのか。 2015.02.11