曲もクルマもおっさんは昔が刺さるな。ボヘミアン・ラブソディのQueenを聴ききつつ
Queen、いいよね。
いま話題の「ボヘミアン・ラブソディ」はまだ見れてないけど、あのCMをきっかけに最近よく聴いてる。この間も家の掃除をしながら聴いていて、だんだんやる気が出てきた。で、だんだんボリウムを大きくして、結局、家中Queenの爆音! 音がでかいほど気分がアガる。
音楽のことは良く分からないけど、凝ってて聞き飽きないメロディとか分厚いバックの演奏とか、手間をたっぷりとかけた料理みたい。聴いてておなかいっぱいになる。ごちそうさん。
最近の、「電車でお年寄りに席を譲ったら拒否られて凹んだけど、きっと良いことあるよ」みたいな半径5センチくらいの狭い狭い中途半端な私小説もどきのチマチマした曲とはぜんぜん違う。
この間のポール・マッカートニーといい、やっぱり時間が経っても色あせない人たちの作品は良いなぁ。
クルマもそう。僕がいいと思えるデザインは、やっぱり昔のモノばかり。僕が見て初めて良いなと思ったのはアルファのジュリアクーペ(初代)で、いちいちあげるとキリないし面倒くさいからやらないけど、あの時代から今までのイタ車、フランス車、ついでにドイツ車とかも、ほぼ全部カッコよくて好き。
ガンディーニが作ったストラトスみたいに、ポテンシャルを追求する姿勢が造形に込められていたり、
ジウジアーロのパンダみたいに、使う人や社会への思いやりがデザインとして形づくられていたり。
もうね、現車を目にすると、いろんな思いや考えがとめどなくあふれてくる。それだけ、考え抜かれていて雄弁なデザインなんだと思う。
デザインでは最近はトヨタも頑張ってる感じがしてたけど。シエンタとか最近のプリウスとか、最初見たときは、人目を引きたい、多と差別化したいという気持ちだけが先行したキテレツ・デザインでビックリ! 半径5センチの私小説ソングと同じ違和感があったけど、ああいうチマチマした曲が流行るみたいにあの奇天烈デザインも見なれて、これからの社会の新しい風景になっていくのかな、とも思っていた。
これまでのカーデザインは、言ってみればローマ時代とか古代から先人が築き上げてきた美意識がベースになっていると思うけど、そういう方向性じゃなくて。デジタル時代、デジタルネーティブがこれから築いていくデザインって、あると思うんですよ(僕はアナログ世代なので理解できないと思うけど)。そういう「新時代」のデザインを、トヨタあたりがこれから拓いていくのかな、と期待していたんだけど。
でも、フツーな面構えに戻しちゃったね、プリウス。
ま、トヨタは文化や芸術を創造してるわけじゃなくて、単にクルマという商品を売って稼いでる会社。クルマは売ってナンボだからね、あの会社にとっては。仕方ない。そうじゃないと、会社が潰れちゃうし。
そう考えると、イタリアのカーメーカーなんか、余計なことばかりしてたよね。
デザインを凝り倒して、必要以上に美しかったりヘンだったりするクルマを作ったり、エンジンの情感や操作性を追求して人間の情感に訴える機械を作ったり。
トヨタとは真逆。だから、今のイタ車のメーカーの経営はこんなになっちゃったのかな?
イタ車のメーカーはクルマづくりを通して、芸術とか文化をかたちにしていたんじゃないか、と思えるようなところがあって。
エンジンの吹け上がりとかハンドリングの感触とか、カタチにはなってないけど立派な芸術だったし、文化になっていたと思う。特にアルファが良かったな、僕が体験した中では。
だから心に刺さるし、刺さり続ける。
だから、忘れられないし、いま見ても良い、まして乗ってしまったら・・・ そんなところは、Queenといっしょ。
——
レーシングジュリア、2019年カレンダーが出てました。カッコイイ! でもドイツ語なのがちょっと残念
-
前の記事
アバルト プント乗りから、フィアット/アバルトの皆さんへのお願い m(__)m 2018.11.30
-
次の記事
『騙されるな、空前の電気自動車(EV)ブームは空振りに終わる』という記事が出てました 2018.12.08