EVの本命はリチウムイオン電池じゃなく「走行中給電」[ ほらやっぱり!前に書いたでしょ ]

○エネルギーは車載電池だけが解ではない
○電気自動車の利点は脱炭素だけではない
○道路を電化し給電可能なシステム導入を

脱炭素時代の自動車をテーマに、↑の記事が出てましたね。
出典は日本経済新聞、1月25日付。
で、どんなこと書いてあるかというと、、、

リチウムイオン電池を使うEVは当面は重要である。しかしリチウムはよくてもコバルトが容易に枯渇するという理由だけでも、長期的には消えるクルマである。

と、バッサリ。やっぱ、そうだよね。
ノーベル化学賞の吉野先生には悪いけど、EV化にあたってリチウムイオン電池だけに頼るのはムリだと思う。
モバイル機器の時代は拓いたけど、
モビリティの未来は拓けない。

そこで、「走行中給電」というキーワードが出てくる。
無接点充電(ワイヤレス給電)で走りながら電気を補充すれば、
能力が低くて充電効率の悪いリチウムイオン電池なんかに頼らなくてもよくなる。

ワイヤレス給電は、スマホ充電で実用化されている。
それをEVで、しかも走りながらやるわけだ。

電気エネルギーを貯めて使うのが難しければ、
走りながら供給してあげればいい。マラソンランナーの給水みたいな。
という、かなり合理的な考えだと思う。

で、それって、僕も過去に書いたことある。ほらほら!
「EV妄想:無接点トロリーバスはどうだろう? [ 充電池ではショボすぎる ]」(2017/12/29)

実際、ワイヤレス給電は技術開発も進んで、実現性があり、
しかもインフラ対応のコストもそんなに高くないはず、と冒頭の記事には書いてある。

その記事にはリチウムイオン電池のかわりに、キャパシタでいいんじゃないか、とも。
大きくて重くて効率悪いくせに値段だけはいっちょまえに高価なリチウムイオン電池を積まなくてもよくなるなら、クルマはますます身軽になっていろんなパッケージやカタチが考えられるようになるし、何より価格が下がって僕らにうれしい。

音楽配信でCDが消えてしまったのと同じように、クルマで買うのが快適な移動と運転の楽しみだとすれば、クルマがネットにつながる時代に、大きなエネルギーを自らが持ち運ぶエンジン車、電池EV、燃料電池EVは時代錯誤の商品ということになるだろう。

ここ、ちょっと論旨が飛躍してるので解説させて頂くと、
——–
音楽でレコードやCDというモノを買うことから、ネットの時代になって配信サービスに、つまり聴くという「コト」になったでしょ。
クルマも同じように、快適な移動や運転の楽しみという「コト」を買う時代にこれからなっていく。
そうなったとき、環境負荷が高くて効率悪くて使いづらい動力装置を持つのは時代遅れなんじゃ?

音楽の世界を広げる“エンジン”と思われてきたメディアがなくなったように、
クルマからエンジンやバッテリーがなくなっても不思議ではないなんじゃないの。
——–
ワイヤレス給電が進めば、きっとできると思う。
実際、スウェーデンでプロジェクトが進んでいるそうだし。

僕としては、

快適な移動や運転の楽しみという「コト」を買う時代

という、クルマ本来の価値というか基本軸が守られてることがうれしいな。

何度も書くけど、リチウムイオン電池EV推進派には、移動やクルマ選択の「自由」を平気で制限するような主張が目立つ。
●やれ「充電に時間かかるならその分休めばいいじゃん」とか → 急いで長距離走らなきゃいけないときもあるだろ、親の死に目とか!
●「EVと自動運転はセットが必須」とか → ぶらっと1人で走りたい、気ままにハンドル切りたいって時がおまえにはないのか!
●あげくの果てには「クルマは全車シェアに」とか → 「水曜どうでしょう」ステッカー貼ったりできなくなるじゃないか!

こんな感じでリチウムEV派が言ってることって、すべてEVが主語になっていて、肝心のユーザーの気持ちとか便利さはぜんぶ後回し。
だから、ことごとく反論したくなるようなことばかりだったんだけど、この記事を書いた先生の論点は共感性が高い。

夢がある未来って、
知恵って、
こういうこと言うんだよ。分かってるのか?

それにしてもこの先生の文章、言い回しがちょっと過激なところが気になる。そういう人って自分の主張に固執したりする人が多いので。