僕にとって、走ることはライブ。だから、相棒になるクルマってとても大事。

僕にとって、走ることはライブ。だから、相棒になるクルマってとても大事。
杓子峠で
行く先で出会うシーンもライブ。この写真を撮ったすぐあと、夕日が沈んであたりは群青色の世界になった。

「道は俺が決める」
確か70年代だったか、こんな感じのコピーのCMがあって、たぶん原田芳雄さんのような俳優が出ていたと思う。

バイクも自動車も、自分で好きな時に、好きな方向に走って行ける。まさに「道は俺が決める」乗り物。レールの上を運転手が操作して走る電車や列車などとは、そこが決定的に違う。

僕も他の人と同じように16歳で原付、ついで中型免許を取ってバイクに乗りはじめて、18歳で自動車の免許も。実際に自分でクルマを持てるようになったのは20代も半ばの頃だった。

気が向いたら、夜中でもエンジンをかけて、気が向く方に走り出す。
道が混んでいたり思うような道ではなくて、こっちじゃないな、と思ったら、交差点を曲がり、方向を変える。
冒頭に書いたCMで、確か、荒野の2差路で、棒を倒していく方向を決めるシーンがあったと思うけど、気分はそんな感じ。
見晴らしのいい場所に行き着いたら、いつでも止まって景色を眺めたり、タバコを吹かしたり(もう吸ってないけど)。走りたい気持ちの方が強かったら、そのまま道の先を追って過ぎていってしまったり。

学生のとき、バイトで稼いだお金を持って、当時乗っていたヤマハRZ250に乗って下道をひたすら北へ。気がついたら下北半島を抜けてフェリーに乗り、函館に。そのまま北海道の東の果てに辿り着いていた。
そういうことが、バイクやクルマに乗る楽しみだ。

さらに。
走るときは、道に合わせて自分とクルマ(バイク)の持てる力をフルに発揮して走りたい。ゆったりのんびり、というのは性に合わない。

スプリントのダッシュ。次の信号まで。あの目標地点まで。そんな走りを繰り返して、気付いたらある程度の距離を走っている。北海道に辿り着いたときも、そんな走り方だった。自宅を夜に出て、とにかく、東京を出よう。東京を出たら、仙台まで走ろう。次は三沢、盛岡、そして下北半島、大間。たまたまフェリーが出るというので、乗ってしまえ。そんな感じ。
実は、そういう走り方は、今もあまり変わらない。

まるで、何者かを追いかけるような、追いかけるものから逃げるような、そんな勢い。
エンジンを回せるだけ回し、ときにブレーキをギリギリまで我慢、できる限りのスピードでコーナーを抜けて、さらにアクセルを開ける。そんな走り方を道路の混み方や、連続する道のコーナーに合わせて、繰り返していく。

奥多摩で
晩秋の早朝、奥多摩湖畔で。昇ってきた朝日に照らされて、湖面に水蒸気が上がってきている。

例えるなら、ジャズのセッション。
他を走るクルマは、サックスやトロンボーンなど、他の楽器に囲まれた中で、自分の旋律をアクセルとブレーキで奏でていく。ベースの抑揚のようなコーナーの曲率に合わせて、自分の走りを合わせていく。そんなイメージ。

そう、まさにライブ。
そのときの走りは、もう二度と再現できない。コーナーはひとつでもそのときの天候や路面状態、他のクルマとの絡みはその場限りだから。まわりを走るクルマやバイクと共演しながら、刻々と表情を変え、走りのリズムを奏でる道とのセッション。

いきなり共演のクルマが絡んできたかと思えば、それまで一緒だったバイクが消えていく。
たんたんと視界の向こうに延びていた道が、急に曲率を変え、そのラインを絶妙にくねらせ、僕にアドリブを要求する。

そんな走りだから、クルマやバイクは僕がすべてをコントロールできるマシンがいい。スピードやテンポの変化にも瞬時に対応できて合わせられるレスポンス。アドリブのように他のクルマやバイクがいきなり入ってきても、それをかわしたりオーバーラップできるような自在なハンドリング。そしてそれらを難の躊躇もなくできる、マシンとの信頼感。

長野と群馬の境にあるぶどう峠で。大雨で山の土砂が道をおおい、山岳ラリーの様相だった。
長野と群馬の境にあるぶどう峠で。前日の大雨で山の土砂が道を覆う危険なコンディション。自信を持って操れるクルマだから、そういう環境でさえ楽しみながら走れた。

だから僕は、自分の走り方に合ったバイクやクルマにこだわる。
ナナハンとか、今ならオーバー1000のビッグバイクとか。クルマならフェラーリとかマセラッティとか。みんなが憧れるようなマシンは数多くあるけど、そんなすごいマシンは操りきれない。かえってマシンに振り回されてフラストレーションばかり溜まりそう。

どんな道でも、ライブが楽しめるクルマ。躊躇なく、気持ち良くアクセルが開けられて、振り回せる。
そんな僕の走り方に合った今のクルマ:アバルト プントは、僕にとっていま最高のベストパートナー。ヘンな日本語だけど、そう思ってる。