ちょっとグチ。日本の道路って、信号多すぎないか!?
自転車のツール・ド・フランス、ライブ中継をつい見てしまっていた。
ヨーロッパ大陸の景色がどこもきれいで、アルプスの険しい山々はもちろん、フランス内陸部の農場を突っ切る直線路、時折あらわれる街並み、どこをとっても魅力的だ。見ていて飽きない。
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で、ふと気付いたわけですよ、
信号少なっ!って。
基本、あちらはロータリーのランアバウトなので信号が少ない。ちょっと大きな街に入っても、テレビ中継を通して見る限りはぽつんぽつんと立っているだけだ。
日本のように、長い直線路で交通の流れをぶった切るかのように立てられた信号なんて、ひとつも見られない。
日本の道路なんて、信号の嵐ですからね。
特に東京都心部なんか10秒走っては信号に2分止められる、そんなムダなことが当たり前になってる。信号が乱立した、信号の森。
まるで、クルマの流れを止めるために信号を立ててるみたいで不経済だし、GDPにも悪影響なんじゃないか。
もちろん、歩行者の保護は大切だし、クルマやバイクと、人、最近は自転車が共存して走れる道路環境が理想だ。
とはいえ、ここまで信号が必要なのか? これほど信号を乱立させる必要はあるのだろうか?
行政は、住民からの要望とかを隠れ蓑に、交通の流れや効率などおかまいなし、考えなしに、あちこちにホイホイと信号を立ててないか。
また、設置やメンテナンスにかかる費用が既得権益化して、信号を「立てる」「増やす」ことが目的になっていないか。行政や警察で天下りとかの温床になっていないか。
一方で僕らドライバーも、信号があるからといって歩行者の保護や優先をないがしろにしてないか。
信号があるからといって、街中や住宅地の道なども我が物顔で走ってないか。側道や信号のない横断歩道などで、本来なら歩行者を優先すべきところを無視してないか。
信号がありすぎるために、歩行者優先、歩行者保護といった感覚が麻痺してないか。
なんかね、自分で考えない、判断しない、日本人の悪いクセが、信号の数に表れてる気がする。
一般大衆は“お上”に頼るし、その“お上”は前例や周囲の意見ばっかり気にしてるし。それでどんどん信号が増えて、渋滞が増え、燃費は下がり、トラックの配達が遅れ、バスは停留所になかなか辿り着けない。
クルマの運転なんて、本来、ドライバーの意思が尊重されるべきだと思ってる。
どの道を、どのくらいのスピードで、どう走るか。ほかのクルマや人と、どう協調するか。全てのドライバーに共通した社会性があれば、信号やルールなんて本来いらないはず。おとぎ話的な極論だが。
フランス人というか、よその国の人って自分の意志や考えがハッキリしている。その一方で、他社の存在や意見などもきちんと尊重する。
そういう人が多いフランスの道路交通には信号が少なくて、一方、日本では信号が森のように乱立。こういう現象って、社会学のテーマにもなるんじゃないか。誰か研究してくれないかな。
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子どもが小さかったころ、この信号にはお世話になりました(笑)
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