終(つい)のクルマ?[ クルマ趣味、いつまで楽しめるんだろう ]

終(つい)のクルマ?[ クルマ趣味、いつまで楽しめるんだろう ]

コロナ禍で家でじっとしていたりしたせいか、何だか最近、いろいろ思うようになりました。

クルマ趣味、あと何年楽しめる?

人生、3コーナーを過ぎたな、と感じることが最近よくある。

この3コーナーって、ウチの近所の東京競馬場のイメージ。鈴鹿の3コーナーはそこからS字が始まって紆余曲折がまだまだ続くわけなんだけど(笑)
その東京競馬場の3コーナーを曲がったあたりが僕の現在位置? そして、そろそろ4コーナーで、立ち上がればグランドスタンド前の長い直線、そしてフィニッシュライン。
東京競馬場空撮

僕自身の全体の人生はまだまだ、だとは思うけど、クルマ趣味の方はそろそろそういうことを考えた方がいいんじゃないかな、と思うようになってきた。
あと何年くらい楽しめるんだろ?
運転が好き、そこは譲れない。そう思ってるからこそ、思うように運転できなくなったら、スパッと止める。
視力とか判断力とかがダメになったと思ったら、趣味のクルマからは降りる。いつまでもダラダラ、だましだまし運転していたくない。第一、危ない。
免許返納いつする?というのと同じで、クルマ趣味=僕の場合は運転の返上は、いつかしなきゃいけないと思ってる。というか思い始めた。

で、ふと「終のクルマ」というコトバが頭によぎったわけ。
もともとは「終の棲家(ついのすみか)」で、人生の最終局面で終わりを迎える住まい、というイメージで使われるコトバ。陽当たりが良かったりして居心地がよくて、その人の人となりが感じられる家。セキスイ●イムとか住宅屋さんのパンフレットとかで、最近よく出てくるようになった。そのクルマ版。

アガりのクルマ、ではない

クルマ仲間で「アガりのクルマ」という言い方がある。
アガり、でよく言われるクルマはフェラーリとかランボルギーニとか、メルセデスとか。ミニとかBMW3シリーズとかで始めた“クルマすごろく”を続けて、どこまでてっぺんまでたどり着けたか、その象徴としてのクルマのことを指しているように思う。上昇志向の最終到達地点、みたいな。

僕が考える「終のクルマ」は、それとはちょっとニュアンスが違う。
いうなれば、クルマ趣味の集大成、あるいは総ざらえ。
これまで乗ってきたクルマ、体験してきたこと、それらを見直して、やり残したこと、やっぱりこれだけはやっておきたいこと、それが体験できる、楽しめるクルマに乗りたい。
そういうクルマとグランドスタンド前のストレートを駆け抜け、フィニッシュラインを迎えたい。最後の最後、ああよかった、楽しかったね、と満足してイグニッションを切って、キーを抜きたい。

幸いにも、僕のクルマ人生(そんな大げさなモンじゃないけど)はガソリン自動車と一緒に成長して、その衰退とともに終わりを迎えようとしている。
いろんなエンジンを積んで、いろんなパッケージングで、面白そう、楽しそうなクルマがいっぱい出てきた。(逆にいうと、いまのクルマにはそういうのはない)
その中から、ああ、これだけは!という一台は、いっぱいある。ありすぎる。

金がありあまってたら、まず買うのはコレだな。誰も書かないけど、このクルマの乗り味って、どうなんだろ?
Alfa Romeo Tipo 33 Stradale

でも、やっぱ実車はムリかなぁ(笑)