フォルツァ、ロバート・クビサ! [ F1公式テスト復帰は“ほろ苦”スタート ]

フォルツァ、ロバート・クビサ! [ F1公式テスト復帰は“ほろ苦”スタート ]

情報源: 【動画】 ロバート・クビサ、F1公式テスト復帰は“ほろ苦”スタート 【 F1-Gate.com 】

“ほろ苦”というより、“お笑い”じゃないか。
とにかく、テストとはいえF1復帰おめでとう、クビサ!!

大ケガをしても再びF1のシートに戻ってきたドライバーはいるけど、クビサのように身体機能までダメージを負いながらもここまで復活したドライバーはいないんじゃないか。

 

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90年代には、ナンニーニ

昔々の1990年代、当時ベネトンで速かったアレッサンドロ・ナンニーニがヘリコプター事故で腕を切断、それでも何とかF1に復帰しようとしたことがあった。
このときは結局ダメだったけれど、その後ツーリングカーレースに転身、DTMでアルファロメオ155V6 TIを操り、メルセデスやBMWを蹴散らしていたのを憶えているアルファファン、イタ車ファンも多いと思う。僕もそのひとり。
あのときの155は、右腕にハンディがあるナンニーニのためにシフトなどが特別仕様になっていた。

クビサの場合、ナンニーニほどの重症ではなかったけれどいろいろ心配され、事前テストの様子から細かく報道されていた。
でもフタを開けてみたら、このテストで142週を走り、ベストタイムは1分18秒572でこの日の4位。

このテスト直前に開催されたポルトガルグランプリの予選タイムは以下の通りなので、まあまあだったんじゃないか。
ニコ・ヒュルケンベルグ 1分17秒468
ジョリオン・パーマー 1秒18秒415

不幸のジンクス(?)の発端になった、クビサ

2009年から数年、F1観戦に鈴鹿に通っていたときがあった。
レッドブルのベッテル、フェラーリのアロンソ、マクラーレンのハミルトンなどに混じって速さを見せていたのがクビサだった。
ライバルよりは劣るルノーのマシンで、ときにライバルを脅かす走り。
この年はなんとモナコで予選2位、決勝3位表彰台。しかも上位での完走率も高く、堅実で速い、渋いドライバーだった。

そんなクビサに敬意を表して2010年の鈴鹿では、サーキットに着くなりまっ先に彼のキャップを購入、レース期間中はそれをかぶってずっと過ごしていた。

不幸の“発端”?、僕のクビサのキャップ

この年、ポールはベッテル、クビサは4番手、小林可夢偉は14番手。スタートでクビサは2位に上がったものの、2週目のヘアピンでホイールが外れるという信じられないトラブルでリタイヤしてしまった。
クビサの同僚のペトロフはスタート直後に他車と接触し、ピット出口付近で観戦していた僕らの目の前にコースアウトしてきた。パーツが細かく飛び散って「あれが欲しい!」なんて言っていたのを憶えている。

考えてみれば、ルノーの2台はスタート直後につまらないトラブルでリタイア。せっかくキャップまで買って応援していたのに、、、
でも待てよ。もしかしたら僕が応援グッズを身につけたからじゃないのか? 不幸のジンクス誕生か!? などと盛り上がった。

で、翌年。ベッテルがあまりにも強すぎて憎らしいので、彼のキャップをかぶったら鈴鹿の連勝記録が途切れ、3位フィニッシュ。ま、このときは彼とチームが優勝よりチャンピオンシップ連覇を優先させたせいもあるが。

さらに2012年は、小林可夢偉が予選4位、3位に入ったジェンソン・バトンに“呪い”をかけるべく、彼のTシャツを着て観戦。
狙い通り(?)バトン後半の追い上げも実らず、みごと可夢偉は3位でフィニッシュ、彼の表彰台ゲットをアシストしたのでした(と勝手に思ってるだけ)。もちろん、大熱狂。
レース後、夕闇に包まれたピットで、興奮さめやらぬ可夢偉と同じく大興奮の観客側とで盛り上がったのもいい思い出だ。

そんな、僕のF1観戦体験のきっかけとなってくれたクビサ、そしてルノー。
マイナスの験担ぎに使ってしまって申し訳ない気持ちもあって、いまだに応援している。あのときの速さを取り戻して、次はF1のレース本番に戻ってきて欲しい。

お坊ちゃんみたいなドライバーが増えてしまったいまのF1には、いぶし銀的なクビサはとても貴重だし。彼みたいなドライバーが戻ってくると、僕もF1にももうちょっとのめり込める。きっと。
待ってるぞ! クビサ。頼むぞ、ルノー!!

ほら、みんなも待ってるよ。
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なんと、こんな値段が付いてる! ぼりすぎだよ