生きていてこそ、人生だ。[ネルソン・ピケとニキ・ラウダ]
なんだか涙出てきた。
現役時代、サーキットでしか絡まなかったような二人が、何十年かの時を超えて、おじいちゃんになってこうして親しげに話し合っているなんて。
昔は、10人のドライバーがいたら生き残るのはその半分、「因果な商売」とまで言われていたF1ドライバー。その第一人者だったラウダとピケが生死をくぐり抜け、こうして再び彼らの人生をクロスさせている。
過酷なF1の世界で生き残ることの難しさ、そして生き続けることの価値を見た気がした。
このシーンの向こうには、彼らと一緒に戦って、死んでいったドライバー達もいる。
僕の大好きなロニー・ピーターソンやアイルトン・セナも、いま生きていたらどうか。
“サイドウェイ・ロニー”と言われ、速さの天才だったロニーはセナのことをどんな風に評価するんだろう。
セナのことをあれほど嫌っていたピケも年齢を経るに連れて変わったのだろうか。それともあのときのままなのか。
事故死ではないけれど、ジェームス・ハントもここに加えたい。ピケときっといい遊び仲間になっていただろう。
そんなことを考えながらこのシーンを見ていたら、なんだか目がうるっときてしまった。
歳とったな、ラウダやピケ同様に、僕自身も。
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ちなみに。
ラウダは、1971年にマーチでF1デビュー、その後BRMを経てフェラーリで2回チャンプ獲得を果たしたあと、1978年にブラバムへ移籍。
そのとき、セカンドドライバーとして新たにF1のシートを獲得したのがピケだった。
ふたりとも結果的に3度、F1チャンピオンを獲得しているけど、
真面目で理知的なニキ・ラウダ、
自由奔放で遊び人のネルソン・ピケ、
と、キャラクターははっきりと分かれていた。
F1の世界では互いに際立ったキャラクターを持っていたがために、一緒に語られることはあまりなかった。ミック・ジャガーとジョン・レノンを一緒に扱った記事なんて見ないでしょ、普通。それと同じこと。まさか、何十年後、こんなに親しく再会しているシーンを見るなんて、僕には想像つかなかったよ!
どんなことを会話しているのかまでは分からないけどね。
さらに。
1990年の日本グランプリ、そう、セナとプロストが1コーナーでもつれてチャンプが決まったあのレース、
さらに、鈴木亜久里が日本人で初めてF1の表彰台に立ったあのレース、
ウィナーはピケだった。
そしてそのシーンを、僕は130Rの土手(当時はスタンドなんてなかった)から見ていた。
だから僕とピケも、ほんのちょっとだけ絡んでいる。
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ブラバムというと、僕はこのマシンがいちばん好き
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