やっぱり、人を殺す前提の自動運転はありえない。[ 「モラルマシン」続報 ]
以前取り上げた「モラルマシン」、調査の途中結果が出ていました。
ホントはこちらが詳しそうだけど、有料記事なのでとりあえず無料ニュースサイトの記事でざくっと。
モラルマシンっていうのは、
走行中、人や動物との衝突が避けられなくなったとき、自動運転車はどの命を見限って、どの命を守ったらいいか、
自分たちでは判断できないので、広くみんなの意見を集めましょう、というWebサイト。天下のMITがおつくりあそばしている。
でも、僕に言わせてもらえば、これは、
自動運転車による殺人を正当化するための調査サイトだ。
その殺人正当化サイトに、4000万ものアクセスがあったそうだ。すごいなー、みんな関心あるんだね。
で、この記事で書かれてるような「モラルに地域性がある」なんてこと、当たり前のことでしょ。これまでイメージで語られた文化的なテーマに対して、ひとつのエビデンスができた、くらいの価値でしかない。
科学者は、ときとして一般人の感情を逆撫でするようなことを平気でする。
遺伝子組み換えなんて、良い例だ。技術的にできるし、経済的効果もあるから、やっちゃおうぜ、というのは理論では分かる。でも、遺伝子組み換えちゃって、それをおなかの中に入れて安全なの? 素人のそんな疑問や不安にはおかまいなしだ。「そこは科学の範囲ではない」って知らん顔だしね、科学者たちは。
技術や理論ばっかり先走っちゃって、多くの人が暮らす社会やそこでの人の気持ちなんて、これっぽっちも考えない。
自動運転、そしてモラルマシンも全く同じ。
センサーとAIがあれば、なんとかなるんじゃね? と思って開発を始めた自動運転だけど、実はセンサーがけっこうバカだったり、あげく、実験中に人を死なせたり。開発が進むほど、自動運転システムはカベにぶち当たってる。
そんなシステムの不出来をエクスキューズすべく作られたひとつがモラルマシンだ。「誰だったら殺していいですか」なんて設問、フツーの人はできない。マッドサイエンティストだよ、こんなこと考えられるのは。
運転は自動化できる。って思って始めた以上、きちんと最後まで開発すべきだよ、エンジニアたちは。
モラルマシンで「誰を殺して良いですか」なんてヘンな逃げ道作らないで、「人を殺さない自動運転」を目指すべき。
そうじゃなかったら、人間が運転しているのとたいして変わりない、開発する価値がない。
前も書いたけど、人を殺す前提の自動運転はありえない。絶対に。
こういう気持ちは、今も変わってない。
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