いま考えても、僕のアルファロメオ体験は衝撃だった。あれは、セックスだったかも知れない。
機械を尊重しつつ相対する。そこに一種の対等なコミュニケーションをしている感覚が生まれる。そこを愉しむものなのだ。
これは昨日のエントリで書いた、沢村慎太朗さんのメルマガにあったマニュアルトランスミッションの楽しみの真髄を言い表した一節だ。
でもこれって、マニュアルトランスミッションだけじゃなくて、クルマ全体にも言えるんじゃ? と思ったんだ。
特に「クルマとの対等なコミュニケーション愉しむ」ということに関して。
アルファ・エンジンとの“コミュニケーション”
アルファロメオの105系、いわゆるジュリア/ヴェローチェ系(いまのじゃない古い方)のエンジンが昔、絶賛されていた。
曰く、「ドライバーの気持ちにシンクロするように回転が上がっていく」「エンジン回転の上がり方がドライバーの情熱をかきたてる」などなど。
僕も1750エンジン(4Cに積んでいるダウンサイジングターボではない、くどいけどw)のクルマを所有していたことがあったけれど、まったく同感。
ちょっと前に出たいとき、とても激しくダッシュしたいとき、走っているといろんなシチュエーションがあるけれど、アクセルペダルを踏む右足でその意思を伝えると、クルマ、というかエンジンは「わかった!このくらいのパワーがあれば充分だろ」、もっとパワーが欲しいと右足で伝えたら「よっしゃ任せとけ!」とばかりに回転を上げてくれた。
エンジンと右足で行う“コミュニケーション”
そのときの回転の上がり方も、走りたい僕の気持ちにピタリと応えてくれる。
僕が前に行きたい気持ちの、ほんのちょっと先を行く感じで回転が上がっていく。
だから自分の思い通りに加速していく感じがする。気持ちいいんだ。
ドライバーの気持ちよりも後から回転が付いていくと、「遅い」「僕の気持ちに応えてくれていない」という気持ちがわき上がってきてしまうけど、そういうことはなく。
逆に、自分が思うよりも先に(早く)回転が上がってしパワーが出たりすると、恐怖だ。ちょうど、ターボの過給圧を目一杯上げてフルスロットルをくれたときみたいに。ごくたまに味わうスリルならいいけど、それがスロットルを開けるたびに来てしまうのでは疲れる。
アルファのエンジン(くどいけど、昔の純アルファ製のエンジン)は、どんなときもドライバーの気持ちに素直に応えてくれた。
だからドライバーもつい楽しくなって、もっとアクセルを開けて、エンジンを愉しみ尽くしたくなる。つまり、ずっと乗っていたい、乗ることでクルマと一体になれる感じがしたし、だから、アクセル開けたりギア替えたりハンドル切ったりすることに、どんどん夢中になっていく。その時間の、なんと幸せだったことか。
あのとろけるような体験こそがアルファロメオだった。魅力だし魔力だった。快感と官能があった。
もしかしたら、昔、僕がアルファと体験したのは、セックスに近いものだったかも知れない。
でもセックスって、言ってみれば、究極の“対等のコミュニケーション”なんじゃないか。
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沢村慎太朗さんといえばこの本も人気。僕も何冊か読んでるけど、本の方はメルマガよりも行儀がいい感じがするのはなぜ?(笑)
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